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EventREPORT

「地方創生を担う女性リーダー桑原悠町長の夢と政策」講演会要旨

イベント報告

2019/12/06 UP

—若き女性リーダーが思い描く地方創生の課題と未来—

新潟県津南町 町長桑原悠氏 講演会
2019年9月19日(木)、千駄ヶ谷キャンパスにおいて、総合政策学部森川美絵教授のプロジェクト「データ活用型政策研究と実践的教育プログラム開発」の協力のもと、講演会「地方創生を担う女性リーダー 〜桑原悠新潟県津南町長の夢と政策〜」(総合政策学部主催)が開催されました。
この講演会では、現職では全国最年少の町長である桑原悠氏に、政策課題を中心に地方活性化への取り組み、課題、さらに今後についてお話しいただきました。また講演会の後半では、総合政策学部各ゼミの代表学生たちも登壇。桑原氏の学生時代に指導を担当した森田朗教授をモデレーターに、パネルディスカッションも行われました。

生まれ育った町の未来を考え、町政の世界に

津田塾大学の皆様こんにちは。今日は私が日頃体験していることを、皆さんにご紹介したいと思います。皆さんも大学卒業後に各界で女性リーダーとして活躍されるでしょうし、もしかすると都道府県知事や市区町村長になっているかもしれません。エールを送る意味で、今私が感じていること、ぶつかっている課題、そしてやり甲斐についてお話しさせていただきます。
まず、津南町がどんな町なのかについてご紹介したいと思います。津南町は新潟県最南端、長野県との県境に位置しており、1年の半分近くが雪に埋まる豪雪地帯です。面積は山手線の内側の約2.4倍で、その中に約9,500人が住んでいます。高齢化率が40%を超える、典型的な過疎地ですね。
この津南町の町長に私が立候補するまでのことをお話ししたいと思います。私は津南町出身ですが、「こんな雪国には一生戻るものか」という想いで東京の大学へと進学。海外に関わる仕事がしたいと思い、留学も経験しました。ただ、世界について学ぶうちに、「自分の足下はどうなっているんだろう」と国内に目を向けるようにもなったのです。そこで大学院に進学し、森田先生の下で政策について学びました。

そんなときに起こったのが東日本大震災、そしてその翌日に発生した長野県北部地震です。津南町も被災したので急ぎ帰省したのですが、その惨状を目の当たりにし、今後の復興計画はもちろん、人口減少や少子高齢化など、地元が抱えている課題に応えたいという想いが沸き上がってきました。そこでその年の町議会選挙に出馬し、当選させていただいた次第です。
こうして私の政治家人生は始まりましたが、町議時代は多くの苦労がありました。もちろん私の勉強不足もありますが、先輩議員との価値観の違いも感じました。また都会とは異なる、地方特有のゆっくりとしたものごとの速度を、身体で覚えていくような数年間でもありました。一方で、結婚と出産も経験。津南町の町政史上初めて、在任中に出産した議員となりました。私の後に続く女性議員がまだ出てこないことが残念ですが…。

町議の二期目を務めている最中に、前町長がご勇退なさるということになりました。当時の私は育児をしながら、「子どもが成長したときに、この町はどうなっているんだろう」という、危機感にも似た想いを抱えていました。そんな時期に町長選が実施されるということで、挑戦しようと思ったのです。

町に関わる人が誇りを持ち、前向きになれるように

町長選は町議選とは全く別もので、選挙ではそれまで以上に苦労しました。やはり町のトップを選ぶわけですから、住民の皆さんの判断基準もより厳しくなります。そうした中で私が掲げたのは、今の津南町に合った政策を、ということでした。人口減少などにより、町は成長期を過ぎて成熟期を迎えています。その現状にふさわしい政策が必要だと訴えたのです。そこで希望と愛、参加を三つの柱とした公約を掲げ、当選することができました。
現在は、公約に沿った政策を進めている最中です。希望の町作りとして、稼げる農業、苗場山麓ジオパークなど現在あるものを活かした観光客誘致、女性や若者の安定した収入の確保といったことに取り組んでいます。また愛ある町作りとして目指しているのが、医療と教育の充実です。そして多くの方に町作りに参加してもらえるよう、「津南未来会議」を立ち上げ、空き店舗を活用して皆で話のできる「場」も作りました。また観光業以外の産業も観光で儲かる仕組みを作るため、DMO(Destination Management Organization)法人設立の準備を行っております。

津南町は消滅可能都市と位置づけられていますが、食糧もエネルギーも自給率は100%を超えており、余剰分は都市部に回してきました。食糧基地およびエネルギー基地として、都市部を支えてきたというプライドを持っています。
でも何より大切なのは、皆がそのことに誇りを持ち、前向きに暮らしていくことなのです。その気持ちを高めるために外部の企業の方にも関わっていただいていますが、大学の皆さんとも連携したいと思っています。もちろん皆さんが将来津南町に関わっていただけたらうれしいですし、そうでなくても地方行政に興味を持っていただき、その活性化に貢献していただけたらと思います。

パネルディスカッション

 ——講演会後半では、総合政策学部の各ゼミから代表学生が登壇し、桑原氏とのパネルディスカッションが行われました。学生から寄せられるさまざまな質問に対して、桑原氏が丁寧に答えてくださいました。40分以上にわたって質疑応答が行われましたが、ここでは主な内容をご紹介します。


学生 「町議会では先輩議員とのジェネレーションギャップに苦労したとのお話でしたが、具体的にはどのようなことがありましたか?」

桑原氏 「たとえばネット配信に対する抵抗感でしょうか。ネット中継の導入には当初否定的な意見が多く、議員さん一人ひとりに必要性を説いて回りました」。

学生 「今後設立予定のDMO法人での政策を、どのように展開していきますか?」

桑原氏 「現在の行政は、マーケティングの手法を生かし切れていないと感じています。根拠のある数字が出ているのに、きちんと分析ができていません。専門家を入れて、具体的な施策に活かしていきたいと思っています。」

学生 「住民からさまざまな要望が上がってくると思いますが、どのように取捨選択しているのでしょうか?」

桑原氏 「私も驚かされたのですが、地方行政では10の事業があれば、その全てを並行して進めているんですね。ただ、今後は全ての事業を維持するのは困難なので、振り分けを進めています。基本的には子どもたちのために、彼らが大人になったときに良い町にしたいという観点で選んでいるつもりです。」

学生 「議員活動以外にも津南町を助ける方法はあったと思うのですが、なぜ政治家として津南町に戻ろうと思ったのですか?」

桑原氏 「確かに大学院入試の面接でも、地域活性化ならビジネスを興すほうがいいよと言われました。でも私は町を一つの会社と考え、経営者として町を作ってみたいと思ったんですね。それが大きな理由です。」

学生 「2020年に向けて『梅五輪プロジェクト』を進めています。その中で地方との連携にも取り組んでいるのですが、町長としての視点で、どんなことを望んでおられるのかを教えてください。」

桑原氏 「津南町でも、産官学連携など町と関わる方を増やそうと常に考えています。その中で、良かったな、幸せだったな、自分は進化したなって思ってもらえるような関わり方を目指しています。」
パネルディスカッション終了後には、桑原氏を囲んでの懇親会も開催。大学院生から町議会議員に、そして町長にというキャリアパスは、学生には「自分には縁遠いキャリア」と思えるかもしれません。しかし実際に桑原氏にお目にかかると、「町を良くしたい」という熱意にあふれており、彼女たちが目指す将来像の中に桑原さんも含まれるだろうと実感させられます。桑原氏のお話には、学生たちがこれから学ぶべきことや将来の進路に関する、素晴らしいヒントがたくさんあったに違いありません。
【プロフィール】
桑原 悠(くわばら はるか)
2009年早稲田大学社会科学部卒業。2012年東京大学公共政策大学院修了。大学院在学時の2011年に出身地である新潟県津南町の町議会議員選挙に立候補し、トップ当選を果たす。町議会議員を二期務めた後、2018年に町長選に立候補し、当選。全国で最年少の町長となる。